江戸時代、滋賀県の一つの神社の蔵の中で、ひっそりと眠っていた古文書がありました。
それは、日本の歴史を大きく塗り替える可能性を秘めた「ホツマツタエ」と呼ばれる書物です。
宇宙の始まりから古代日本の様子まで、約11万字もの壮大な物語が、独特な文字で記されていました。
この謎めいた古文書は、現代の研究者たちを魅了し続けています。
なぜ神社の蔵の中に保管されていたのか、どんな内容が記されていたのか、そしてなぜ今、多くの人々の注目を集めているのか。
神社が守り伝えた古代日本の歴史書の世界へ、一緒に迫ってみましょう。
目次
日吉神社が守り伝えたホツマツタエの発見物語
- 松本善之助氏との運命的な出会い
- 四国旧家の写本が導いた高島の地
- 神社の蔵で眠る貴重な全巻発見
- 江戸時代の井保家による漢訳作業
- ホツマ文字と漢文が織りなす世界
松本善之助氏との運命的な出会い
1966年8月、出版社「自由国民社」の編集長を務めていた松本善之助氏は、東京・神田の古書店でホツマツタエの写本と出会います。
古代史研究者でもあった松本氏は、その内容に強い関心を持ちました。
当時、多くの国学者からは冷ややかな目で見られていましたが、松本氏は独自の研究を進めることを決意します。
この一冊との出会いが、後の大きな発見につながる重要な第一歩となったのです。
その後、松本氏は他の研究者の協力を得ながら、写本に記された内容の解読と分析を進めていきました。
四国旧家の写本が導いた高島の地
松本氏は研究を進める中で、四国の旧家に残されていた貴重な写本を見つけます。
その写本には「高島郡の某から借りて写した」という重要な記述がありました。
この手がかりを頼りに、松本氏は滋賀県高島市へと調査の範囲を広げていきます。
滋賀県北西部に位置する高島の地で出会ったのが、土地の旧家である井保家でした。
この出会いが、全巻発見への大きな転機となったのです。
井保家との出会いは、ホツマツタエ研究の新たな章を開くことになりました。
写本の存在を知った地元の研究者たちも、松本氏の調査に協力するようになり、滋賀県高島市に眠る古文書の探索が本格的に始まっていったのです。
この調査の過程で、井保家と日吉神社との関係が明らかになり、後の全巻発見への道が開かれていきました。
神社の蔵で眠る貴重な全巻発見
1992年、高島市安曇川の日吉神社の蔵から、待望のホツマツタエ全40巻が発見されました。
これまで断片的にしか知られていなかった内容が、ここで完全な形で姿を現したのです。
発見された文書は、約11万字にも及ぶ壮大な内容を持っていました。
神社の蔵の中で、長年にわたって大切に保管されていたこの貴重な文書は、日本の古代史研究に新たな光を投げかけることになります。
2016年11月には、この発見から50年を記念した全国フォーラム「再発見50高島ホツマツタエ縄文ロマンの集い」が開催され、全国から約400人もの研究者や愛好家が集まりました。
江戸時代の井保家による漢訳作業
発見された写本には、安永4年(1775年)という制作年代が記されていました。
井保家の先祖が漢訳を完成させ、その後、日吉神社に納められたことが分かっています。
写本は丁寧に製本され、独特な文字体系で記されているだけでなく、漢文による訳文も併記されているという特徴を持っていました。
この漢訳の存在が、後の研究者たちによる解読を可能にする重要な鍵となったのです。
現在、この写本は江戸時代中期までしか遡ることができませんが、他の写本群の出現時期なども含めて研究が続けられています。
ホツマ文字と漢文が織りなす世界
ホツマツタエは、点や線で表される子音と、○や△で表される母音を組み合わせた独特の「ホツマ文字」で書かれています。
各記号には風や水などの意味が込められ、象形文字の要素も含まれています。
これらの文字は48音を形成し、現代の50音表に相当する体系を持っています。
写本には漢文による翻訳が併記されており、ホツマ文字による本文と漢文による訳文が並び、その特徴的な構成から多くの研究者の関心を集めています。
古史古伝を支持する人々の間では、このホツマ文字は漢字が伝わる以前の日本にあった「神代文字」の一つとされています。
さて、ここまでホツマツタエの発見から日吉神社での保管に至るまでの経緯をご紹介してきました。
では、この貴重な古文書には、いったいどのような内容が記されているのでしょうか。
宇宙の始まりから古代日本の暮らしまで、ホツマツタエが描く壮大な世界観について、さらに詳しく見ていきましょう。
神社に伝わるホツマツタエが描く古代日本の世界観
- 宇宙の始まりと神々の誕生
- イザナギとイザナミの世界創造
- アマテルの姿と神々の配置
- 縄文時代から伝わる暮らしの知恵
- 景行天皇に託された歴史書
- ホツマツタエを取り巻く真偽の議論
宇宙の始まりと神々の誕生
ホツマツタエは「渦」から始まる壮大な宇宙創生の物語を伝えています。
創造神アメミヲヤが大きな息を吐くことでビッグバン「アウワ」を起こし、それがグルグルと回転して宇宙の大いなる壺が生まれました。
その後、メ(陰)とヲ(陽)に分かれて宇宙が回りだし、ヲは昇って天体となり、メは重く凝り固まって地球となったとされています。
アメミヲヤから生命エネルギーが地球上に引き込まれ、その一部が初の人間としてミナカヌシとなりました。
ミナカヌシはト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メという八方八下りの御子を生み、八つの方位(東西南北および四隅)にそれぞれ遣わして八国を治めさせたと伝えられています。
これが八方八下りの御子(ヤモヤクダリノミコ)と呼ばれる統治の始まりでした。
その後、うつほ(空)、かぜ(風)、ほ(火)、みず(水)、はに(土)という五元素が生まれ、これらはホツマ文字の由来にもなっているといわれています。
イザナギとイザナミの世界創造
ホツマツタエでは、イザナギとイザナミの物語が古事記とは異なる形で描かれています。
二柱の神の結婚により、ワカ姫、アマテル、ツクヨミ、スサノオが生まれたとされています。
これらの神々は、古事記や日本書紀のような神としてではなく、古代日本に実在した人物として描かれているのが特徴です。
また、48音の基本音を表す「アワのうた」では、天御柱を左回りするイザナギの「あ」から始まる23の言葉と、右回りするイザナミの「わ」から始まる23の言葉が掛け合わされるという、独特な描写も見られます。
※交差する位置にある「ん」を加えると23+1、23+1で合計48音になる。
この「23」という数字や「左回り」「右回り」という要素は、現代のDNAの二重螺旋構造にも通じる興味深い表現となっています。
この「アワのうた」は秘儀とされ、口伝承されてきたと言われています。
アマテルの姿と神々の配置
ホツマツタエにおいて、アマテルは古事記や日本書紀とは異なり、男神として描かれています。
特徴的なのは、アマテルの誕生に富士山が重要な場所として登場する点です。
これは記紀には全く見られない記述となっています。
また、アマテルが編纂したとされるフトマニという文書には、48の神々の配置を示すフトマニ図が含まれており、これは現代の科学的な知見とも通じる部分があるとされています。
中心のアメミヲヤと他の神々の配置は、古代日本の宇宙観を表現したものとして注目を集めています。
古代日本では「神=言葉」という思想があり、このフトマニ図を持っているだけでお守りの効果を発揮するという信仰も存在していました。
縄文時代から伝わる暮らしの知恵
ホツマツタエには、縄文時代の具体的な生活の様子が記されています。
特に興味深いのは、「イザナギ、イザナミの前の時代は栗を主食にしていた」という記述です。
この内容は、青森の三内丸山遺跡で発見された大きな栗の木や、集落を囲むように植えられていた栗の木の遺伝子がすべて同じ型だったという考古学的な発見と符合します。
また、ヒタカミ(現在の東北地方)への「木草(キクサ)を土産(ツト)」として、栽培に適した草や木の品種が伝えられたという記述も、当時の農耕文化の広がりを示す重要な記録となっています。
八方八下りの御子(ヤモヤクダリノミコ)の子孫たちは、このように生活向上のための知恵をヒタカミの地にもたらしたとされています。
景行天皇に託された歴史書
ホツマツタエは全40のアヤ(章)から構成される壮大な歴史書です。
前半は神武天皇の右大臣であったクシミカタマノミコトが、後半はその子孫であるオオタタネコが編纂し、オシロワケ(景行天皇)に捧げられました。
膨大な量の五七調の和歌・長歌が収録されており、天地開闢から神代、初代神皇のカンヤマトイワレヒコ(神武天皇)を経て、人皇12代のオシロワケ(景行天皇)の56年までが記されています。
和歌の成立、自然観、宇宙観、政治観、祭祀、言霊思想など、多岐にわたる内容が盛り込まれた貴重な歴史的文献となっています。
その流れは記紀とほぼ同じですが、より詳細な内容が記されているのが特徴です。
ホツマツタエを取り巻く真偽の議論
ホツマツタエの研究には、その真偽をめぐってさまざまな見解があります。
現存する写本が江戸時代のものしか発見されていない点や、使用されている文字体系が現代の5母音に対応している点から、学術界では慎重な見方が示されています。
特に、古事記や日本書紀の分析から、当時の日本語には現代よりも多い母音があったとされており、この点がホツマツタエの成立年代に疑問を投げかける要因となっています。
一方で、全国に広がる研究会では、縄文時代の遺跡と符合する記述の存在や、独自の歴史観に基づく詳細な記録を重視し、古代からの伝承である可能性を探る研究が続けられています。
こうした異なる視点からの検証が、さらなる研究の進展につながることが期待されています。
「ホツマツタエの発見から真相まで:日吉神社伝承の歴史の謎」についての総括
記事のポイントをまとめます。
- 日吉神社の蔵から発見されたホツマツタエは、全40巻、約11万字に及ぶ壮大な歴史書
- 松本善之助氏による1966年の部分写本発見が、研究の始まりとなった
- 安永4年(1775年)に作成された写本には、ホツマ文字と漢文による翻訳が併記されている
- 独自の文字体系「ホツマ文字」は、点や線による子音と丸や三角による母音で構成されている
- 宇宙創生から始まる壮大な物語は、アメミヲヤによるビッグバン「アウワ」から描かれる
- イザナギとイザナミの物語や、アマテルの描写は古事記・日本書紀とは異なる特徴を持つ
- 縄文時代の生活描写には、実際の考古学的発見と符合する記述が含まれている
- 全40のアヤ(章)は五七調の和歌・長歌を含む豊かな表現で記されている
- 学術界では5母音表記など、成立年代に関する疑問点も指摘されている
- その真偽について、さまざまな視点からの研究が現在も続けられている
本記事では、日吉神社で発見されたホツマツタエの発見経緯と、そこに記された古代日本の壮大な世界観について解説しました。
1966年の松本善之助氏による写本との出会いから始まり、滋賀県高島市の日吉神社での全40巻発見に至るまでの道のりと、そこに記された宇宙創生から古代日本の暮らしまでの壮大な物語を紐解いてきました。
独自の文字体系で記された約11万字の歴史書は、その真偽について議論が続いているものの、古代日本の文化や歴史研究において、新たな視点を提供する興味深い資料となっています。
今なお全国の研究会で活発な研究が続けられており、新たな関連資料の発見への期待も高まっています。
ホツマツタエの研究は、日本の古代史研究に新たな可能性を開く扉となるかもしれません。