世界中の誰もが知っているロダンの「考える人」。
あの特徴的なポーズは、深い思索に耽る人間の姿として広く認識されています。
しかし、この作品には誰も想像していなかった意外な真実が隠されていました。
制作当初の目的から、作品名の由来、そして世界に存在する「本物」の数々。
さらには、時代の流れの中で新たな意味を帯びていく姿まで。
静かに座り続ける「考える人」は、実は私たちに深い問いを投げかけ続けているのです。
今回は、この傑作に秘められた知られざる物語と、現代における新たな意味に迫ります。
目次
「考える人」は本当は地獄を見つめていた
- もともとは地獄の門の一部だった「考える人」
- 実は地獄を見下ろす姿だった真実
- 作品名の由来と変遷の謎
- ロダンが込めた本当の意図
もともとは地獄の門の一部だった「考える人」
フランスの彫刻家オーギュスト・ロダンは、1880年にパリの装飾美術館の入口のために「地獄の門」という作品の制作を依頼されます。
この作品は、イタリアの詩人ダンテの「神曲」からインスピレーションを得たものでした。
「考える人」は、当初この「地獄の門」の上部に設置される予定の像として制作されました。
約70センチメートルの小さな像だった「考える人」は、後に単独の作品として展示されるようになり、1902年には等身大となる186センチメートルの大きさに拡大されています。
拡大作の制作にはロダンの友人であり職人のアンリ・ルボッセが携わりました。
そして1904年に初めて展示され、この過程で作品の意味や解釈も大きく変化していきました。
当時予定されていた美術館は実現しませんでしたが、ロダンはその後も「地獄の門」の制作を継続していたのです。
実は地獄を見下ろす姿だった真実
「考える人」が表現しているのは、実は深い思索にふける姿ではありませんでした。
元々は「地獄の門」の上部から、地獄に落ちた魂たちを見下ろす姿として制作されたのです。
当初、ロダンはこの像を「詩人」と名付けており、ダンテの「神曲」に登場する詩人の姿を表現していました。
現在私たちが目にする特徴的なポーズは、地獄で苦しむ魂たちを上から見下ろしている様子だったのです。
この作品の解釈は時代とともに変化し、現代では思索する人間の象徴として広く認識されています。
しかし、本来の文脈を知ることで、作品に込められた意味の深さと、芸術作品の解釈が時代とともに変化していく過程を理解することができます。
このことは、作品に込められた本来の意味と、現代の私たちの解釈との間に大きな違いがあることを示しています。
作品名の由来と変遷の謎
「考える人」という名称は、実はロダン本人が最初からつけていたものではありませんでした。
1888年に独立した作品として初めて展示された際は「詩人」という名称でした。
その後、「詩人/思索者」という名称を経て、1896年までには「考える人」として知られるようになっていきます。
興味深いのは、この名称の変更には複数の説があることです。
一説では、ロダンの死後に鋳造を担当していた職人が「考える人」という名前をつけたとも言われています。
また、ロダン自身が徐々に名称を変更していったという説も存在します。
この作品名の変遷からは、芸術作品の意味や解釈が、作者の意図を超えて、時代や社会の中で独自の発展を遂げていく過程を見ることができます。
現在では「考える人」という名称が世界中で定着し、思索する人間の象徴として広く認知されているのです。
ロダンが込めた本当の意図
ロダンは「考える人」について独自の解釈を持っていました。
彼によれば、この像は頭脳だけでなく、体全体で考えていると説明しています。
しわを寄せた額、膨らんだ鼻孔、引き締まった唇、そして腕、背中、脚のあらゆる筋肉、握りしめた拳、つま先に至るまで、全身で思考を表現しているというのです。
この解釈は、単なる思索する姿を超えて、人間の精神と肉体が一体となった表現を目指していたことを表しています。
ロダンの彫刻は、人体の細部まで作り込まれた迫真的な表現で知られていますが、それは単なる写実的な再現ではなく、人間の内面的な感情や思考を、身体全体を通じて表現しようとする試みだったのです。
このようなロダンの考えは、作品そのものの解釈に新たな視点を与えてくれます。
「考える人」は本当はどれが本物なのか
- なぜ同じ作品が複数存在するのか
- 死後鋳造と作品の真正性
- 日本国内で見られる「考える人」
- 世界各地に存在する「考える人」たち
- 戦火に傷ついた「考える人」が伝えるもの
なぜ同じ作品が複数存在するのか
世界各地の美術館で見られる「考える人」。
その姿は、まるで同じ作品が複製されているかのようです。
実は、その中には正式に認められた「本物」が複数存在します。
では、なぜ同じ作品が複数存在できるのでしょうか。
その理由は、ブロンズ像特有の制作過程にあります。
ブロンズ像の制作工程:
- 原型制作
・作家が粘土などで原型を制作 - 型取り
・原型から石膏などで型を作成
・この型が複数の作品を作る基になる - 鋳型作成
・石膏原型から鋳造用の型を制作
・この工程から専門の職人が担当 - 鋳造
・溶かしたブロンズを鋳型に流し込む
・専門の鋳造職人が担当
このような制作過程により、同じ作品を複数制作することが可能になります。
「考える人」の場合、1902年からは等身大の186センチメートルの拡大版も制作されるようになりました。
現在では、ロダンの生前に制作された9体と、死後に制作された作品を合わせて世界に21体存在しています。
これらはすべて正規の「本物」として認められており、世界の名だたる美術館で展示されています。
このように複数制作が可能な特性は、芸術作品としてのブロンズ彫刻の独特な性質を示しています。
絵画のように一点しか存在しない作品とは異なり、複数の「本物」が存在するという特徴を持っているのです。
では、これらの作品の真正性はどのように守られているのでしょうか。
死後鋳造と作品の真正性
ブロンズ彫刻は原型さえあれば複製が可能なため、作品の真正性が問題となることがあります。
ロダンの作品は、その価値の高さから、生前から大量の贋作が作られる事態も発生していました。
中には本物の像から型を取ってコピー商品を作る者もいたといいます。
このような問題に対処するため、フランス政府は厳格な規定を設けることになりました。
フランスの法律による規定:
- 鋳造権の所有
・ロダンの作品を鋳造する権利はフランス政府が所有
・作品の原型はロダン美術館が管理 - 本物の定義
・一つの原型からの鋳造は12体までを「本物」として認定
・13体目以降は「複製(レプリカ)」と定義
※ただし、作者の生前鋳造分は12体の制限対象外 - 「考える人」の場合
・ロダンの生前鋳造:9体
・死後の公式鋳造を含め、世界に21体が存在
・すべて正規の「本物」として認定
このような厳格な管理体制により、作品の価値と真正性が守られています。
なお、ロダン自身は死後も作品を世界に広めていきたいという遺志を残しており、現在の管理体制はその意向も反映したものとなっています。
では、これらの「本物」は世界のどこで見ることができるのでしょうか。
まずは、身近な日本国内の展示からご紹介します。
日本国内で見られる「考える人」
世界各地で見られる「考える人」の公式鋳造作品は、日本でも鑑賞することができます。
フランス政府とロダン美術館の厳格な管理のもと、日本国内では4つの公的美術館が貴重な「本物」を所蔵しています。
それぞれの作品には興味深い来歴があり、日本の美術史とも深く関わっています。
国立西洋美術館と京都国立博物館の作品は野外に展示されており、それぞれの場所で異なる魅力を放っています。
このように日本でも貴重な「考える人」に出会えますが、世界に目を向けると、さらに様々な展示方法や歴史を持つ作品に出会うことができます。
世界各地に存在する「考える人」たち
「考える人」は世界各地の著名な美術館で見ることができます。
フランス
ロダン美術館(パリ)では、美しく整形された庭園の中に設置された拡大版があり、1922年にここに移管されました。
ストラスブール現代美術館では、床に直接展示された迫力ある作品を見ることができ、通常より大きく感じられる独特の展示方法が特徴です。
アメリカ
フィラデルフィアのロダン美術館では、外門の外、美術館入り口の「地獄の門」、そして館内にそれぞれ異なるサイズの作品が展示されています。
しかし、世界に存在する「考える人」の中には、作品そのものが歴史の証人となり、新たな意味を持つに至ったものもあります。
戦火に傷ついた「考える人」が伝えるもの
アメリカのオハイオ州にあるクリーブランド美術館では、ロダンが生前最後に鋳造を直接指揮した貴重な作品が展示されています。
ただ、他の同作品と異なり、部分的に破損した姿となっています。
この破損は、1970年に発生したベトナム戦争への抗議によるもので、戦争反対を訴える活動家たちが爆発物を使ったことで引き起こされました。
台座や像の一部が損傷しましたが、美術館側はロダンが直接鋳造に立ち会った作品であることを尊重して、修復せず当時のまま展示しています。
この破損した「考える人」は、新たな意味を帯びることとなりました。
もともと地獄の苦しみを見下ろす存在として生まれたこの像は、現代の「地獄」とも言える戦争の惨禍を、その身を以て体現することになったのです。
平和な時代に地獄を見つめていた姿から、戦争という現実の地獄を記録する存在へと変化した「考える人」。
その姿は、芸術作品としての価値を超えて、人類の抱える永遠の課題を私たちに問いかけ続けています。
「ロダンの「考える人」は本当は地獄を見ていた?現代に問いかける意味とは」についての総括
記事のポイントをまとめます。
- 「考える人」は「地獄の門」の一部として誕生した
- もともとは地獄を見下ろす存在として制作された
- 作品名は「詩人」から「考える人」へと変化した
- ロダンは全身で思考を表現しようとしていた
- ブロンズ彫刻は複数制作が可能な特性を持つ
- フランス政府が厳格な管理体制で真正性を守っている
- 一つの原型から12体までが「本物」として認定される
- 日本国内では4つの公的美術館に所蔵されている
- 世界各地で様々な形で展示されている
- 時代とともに新たな意味を持つ作品も存在する
本記事では、誰もが知っている「考える人」の意外な真実を紐解いてきました。
地獄を見下ろす姿として生まれ、やがて思索する人間の象徴となり、さらには時代を映す鏡ともなったこの作品。
その価値を守り続けるための取り組みとともに、作品そのものが時代とともに新たな意味を獲得していく姿は、芸術作品の持つ普遍的な力を私たちに伝えています。